3月に行われたWBCの決勝の最終回で、息をのむ緊張感の中、見事の投球を見せ日本を優勝に導いた大谷翔平選手!
高校時代から二刀流で注目され、日ハムでの活躍を経て、現在メジャーでも大活躍中の大谷翔平選手。
そんな大谷選手のご両親はどんな方なのでしょう?
父の職業は?母は運動神経抜群!?
そして、あまり目にしない大谷選手のご両親は現在どこにお住まいなのでしょうか?
気になる大谷選手のご両親について調べてみました。
大谷翔平の両親は運動神経抜群?!
引用:https://hikari-iyashi.com/
大谷選手の父親は元野球選手で、母親は元バドミントン選手という経歴の持ち主で運動神経抜群です!
- 父親は元野球選手
- 母親は元バドミントン選手
父親は元野球選手
小学2年で水沢リトルリーグで野球を始めた #大谷翔平 選手、監督の父は、
1:大きな声を出して元気よくプレーする
2:一所懸命にキャッチボールを練習する
3:最後まで全力で走る
同じ実力だったら監督の息子ではない他選手を使う方針で、彼は圧倒的な実力をつけるべく他選手よりも何十倍も練習した。 pic.twitter.com/ReCgkLP69p— JoshuAnco (@joshuanco) April 15, 2023
- 名前:大谷徹
- 生年月日:1962年
- 身長:182㎝
- 出身:岩手県北上市
- 元所属野球部:三菱重工横浜野球部
- 高校:岩手県立黒沢尻工業高等学校
大谷選手の父・徹さんは、岩手県の出身で、中学校・高校と野球をして過ごされたそうです。
中学入学当初は、陸上部に所属していたようですが、三種競技A(100m走、走高跳、砲丸投げ)で県大会入賞を果たすほど活躍されていたそうです。
しかし、2年生の途中で野球部に転部して、それからはなんと4番として大活躍しました。
転部してからの4番とはさすがですね!!
その後、岩手県立黒沢尻工業高等学校へ進学し、野球部へ入部。
甲子園にも出場したことのある県内でも有名な強豪校です。
入部後、最初は投手のポジションだったそうですが、外野手に転向されています。
陸上部だったことからもわかる通り、俊足で打者として1、3、5番打者として活躍されていました。
最終的に甲子園出場は残念ながら叶いませんでした。
卒業後は、三菱重工横浜野球部のセレクションに合格して、同社に入社され野球部に所属していました。
外野手、1、2番打者として活躍されていたそうです。
しかし、途中で肩を壊してしまい、24歳のとき監督から戦力外通告され、現役を引退されたそうです。
父・徹さんも大谷選手と同じく学生の頃から野球をされていたようですね!
しかも、甲子園を目指し、社会人野球部に所属するなどかなり本格的に取り組まれていたようです。
スポーツにケガはつきものですが、もしケガがなければ、大谷選手のようにプロで活躍されていたかもしれませんね。
母親は元バドミントン選手
引用:https://luupy.net/2870
- 名前:大谷加代子
- 生年月日:1963年
- 身長:170㎝
- 出身:神奈川県横浜市
- 元所属チーム:三菱重工横浜バドミントン部
- 高校:神奈川県立横浜立野高等学校
小学5年生からバドミントンを始めた母・加代子さん。
中学校では、全国大会で神奈川県代表の団体メンバーに選ばれたほどの実力の持ち主だったそうです。
全国大会では、決勝戦まで進み、惜しくも準優勝だったそうです。
神奈川県横浜立野高等学校に進学した加代子さんは、インターハイ出場を目指していたそうです。
強豪校で、かなり厳しい練習をされていたようでバドミントンに全力を注いだ3年間を過ごしたそうです。
そして、国体選手に選ばれ、国体に出場されました。
高校卒業後は、三菱重工横浜に入社し、バドミントン部に所属しました。
母・加代子さんも学生時代から、かなりスポーツに力を入れて取り組まれていたようですね。
全国大会や国体に出場とは、かなりの運動神経の持ち主です。
そして、厳しい練習にも耐え、かなりの努力家だったようです。
両親ともに元スポーツ選手で、運動神経抜群だったようです。
大谷選手の凄さは、両親から受け継がれたものもあるのかもしれないですね。
大谷翔平の両親の職業は?
大谷選手のご両親の現在の職業は…
- 父:少年野球チーム金ヶ崎リトルシニア監督
- 母:専業主婦
父・徹さんは、現在少年野球チームで監督として未来のプロ野球選手を指導されています。
指導者として、現在も野球とかかわっているようですね。
これまでの職歴はどうなっているのでしょう。
父の職歴
- 1981年 三菱重工横浜野球部 入社
- 1986年 現役引退
- 1991年 自動車ボディーメーカー関東自動車(現・トヨタ自動車)へ転職
- 2001年 大谷選手が所属していた「水沢リトル」のコーチ就任
- 2006年 大谷選手と共に「一関リトル」へ移籍
- 2014年 少年野球チーム「金ヶ崎リトルシニア」を立ち上げる
- 2016年 退社
少年野球チーム金ヶ崎リトルシニア監督に専念
現役引退後、自動車ボディーメーカーへ転職され、岩手県水沢市に引っ越しされています。
自動車ボディーメーカーでは、昼夜2交代制の工場勤務されていたそうです。
夜勤ありの仕事で肉体的にも大変だったようです。
そんな父・徹さんは、小学校時代に大谷選手が所属した「水沢リトル」でコーチとして大谷選手や少年たちを指導しました。
その後、大谷選手が中学にあがり「一関リトル」に所属すると一緒に移籍し、引き続き指導を続けます。
そして、長年勤続されていた自動車ボディーメーカーを2016年に退社され、現在は、2014年に自身で立ち上げた少年野球チームの監督に専念されています。
指導に集中するため、定年前に退職されたようです。
少年育成、野球への熱意がとても感じられますね。
母の職歴
母・加代子さんは、時期ははっきりわかりませんが、結婚後に三菱重工横浜を退社されています。
大谷選手が小学校に上がると、焼き肉店でパートとして働き始めました。
大谷選手がプロで活躍するようになってから「いつまで働くの?」と投げかけたそうですが、自分の生活は自分でという思いからその後も働き続けたそうです。
自立した考えをお持ちの素晴らしいお母様ですね。
その後、2018年に退職されて、現在は専業主婦だと思われます。
大谷翔平の両親の住まいはどこ?
大谷選手のご両親は現在も岩手県に住まわれているようです。
大谷選手の出身地は、岩手県水沢市です。
現在は、市町村合併によって奥州市(おうしゅうし)と名前が変わっています。
大谷選手の一家は、父・徹さんの転職後に父の出身地の近くである水沢市に引っ越し、社宅の一軒家に住んでいたそうです。
大谷選手の活躍と共に実家も知られるようになり、現在は、奥州市内の別の場所に引っ越したとされています。
人気者のご家族は大変ですよね。
まとめ
今回は、大谷翔平選手のご両親の運動神経や職業ついて調べてみました。
大谷選手の父は元野球選手、母は元バドミントン選手でやはり運動神経抜群でした!
大谷選手の現在の活躍は、ご両親から受け継いだ力もあるかもしれません。
そして現在、父・徹さんは、少年野球チームの監督として、少年たちの夢を叶えるべく熱心に指導されているようです。
第2、第3の大谷選手が活躍する日がとても楽しみですね。

